第 3878号2023.06.11
「父の訪問」ひろこ(ペンネーム)
20年ほど前、主人の海外赴任でまだ乳飲み子だった娘と上海で 暮らしていた。 その頃、自営業で働き盛りだった父は中国での仕事のたび、 いや おそらくそれ以上に私達に会いに来てくれた。 仕事の荷物とお土産でパンパンの大きなキャリーバッグを玄関で 開けて「これはお母さんから。」と私の好物の郷土のお菓子や 娘に絵本などを嬉しそうに渡してくれた。 荷物をつめすぎてお菓子の箱が凹んでいたりすると、父は決まって 「モーマンタイや。」(中国語で問題なしの意味)と言って豪快に 笑った。父の度々の訪問のお陰で異国での心細さを感じることも なく過ごせた。 マンションの廊下から父のキャリーバッグを引くゴロゴロという 音が聞こえてくると安心感と嬉しさでいっぱいになった。 いつも大きなキャリーバッグを引いての出張が多い父の腕は力強く たくましくて、その腕で高い高いをしてもらうと、娘は喜んだ。 数年後、日本に帰国。日本にもどってからも度々父は大きな キャリーバッグと共に我が家に来てくれた。 父が私達に会いに来てくれることはもうない。 だけど、私の心はあの時のキャリーバッグのように今でも父の愛で いっぱいに満たされている。