第 3852号2022.12.11
「無題」
稲田 孝史
古いアルバムの中に、ちょっと変わった写真がある。 雪の積もった線路上に、赤いディーゼルカーとその前ではじゃぎ笑顔の 私と仲間たち。 この写真は三十五年ほど前の冬、北海道のサロマ湖沿いをのんびりと走 っていた『国鉄勇網線』でのひとコマだ。 この冬バックパックで北海道をひとり旅していた私は、宿で知り合い仲良く なった同世代の旅人数人と、網走行きの一両きりの列車に乗っていた。 勇網線は車窓が美しいことで知られた路線だ。凍りついたサロマ湖、流氷 押し寄せるオホーツク海に見とれていた。 すると列車が雪原の中に突然急停車した。 前方を見ると踏切で車が脱輪して線路を塞いでいる。ゆっくりと走る列車 だから停まれたのだ。事故にならなくて本当によかった。 直ぐに雪の線路に降り踏切に様子を見に行っていた車掌が戻ってきて「踏切 内の車を持ち上げてどかそうと思います。お若い方は力をお貸し下さい」と 呼びかけてきた。 私たちは「旅のイベントのひとつだ!」と喜び勇んでデッキから雪の中へ 飛び降りた。そして八人ほどで脱輪した車を「ワッショイ、ワッショイ」と 道に戻した。ドライバーの中年女性は恐縮しつつ我々のお祭り騒ぎを見て 笑っていた。そして列車に戻る時、車掌にカメラを渡し記念に撮ってもらった のが、ディーゼルカー前で騒ぐ私たちの写真だ。 今の時代乗客を線路に降ろして障害物撤去作業をさせるなど、あり得ない事 だろう。 でもあの日杓子定規な手順で牽引車なりを待っていたら列車はどれほど遅れたか。 臨機応変に現場で対処したあの車掌には今でも敬服してしまう。道民に根づいた 開拓精神がそうさせたのかもしれない。おかげで列車はさほどの遅れもなく 網走に到着した。 勇網線はとっくに廃線になり国鉄も無い。尚更この写真に詰まった思い出は 鮮明だ。