第 3735 号2020.09.13
「風が強い日に」
大島 大
もう昔の話になるが、私はぶらぶらと散歩していた。季節は秋で、 気持ちよく晴れた日の午後だったが、ものすごく強い風が吹いていた。 住宅街を歩いていると立派な一軒家があった。庭の一角がガレージ になっていて、車が一台止まっている。その車のカバーが外れかけて いて、生き物のように激しく舞っていた。今にも飛んでいきそうな勢い である。 なぜ飛んでいかないかというと、おじさんが一人、必死になって カバーを抑えて、奮闘していたからなのだった。 「大変そうだなあ、手伝った方がいいのかなあ」と思いながらも通り 過ぎようとすると、おじさんの方から「ちょっとそこのお兄さん、手伝 ってくれないかな」と声を掛けられた。私は散歩するほど暇だったの で、おじさんを手伝うことにした。 「そっち、もう少し引っ張って」「こっち結ぶまでそのままキープね」 などと、おじさんに指示されながら手伝っていると、だんだんとカバー は落ち着いてきた。 「ありがとう。お兄さんのおかげで助かったよ。あとは一人でできるか らもういいよ」と言われたとき、暴れまわっていたカバーは勢いを失っ て、車にぴったりと寄り添っていた。 私は「なんかちょっといいことしたなあ。少しでも役に立ててよかっ た」と清々しい気分だった。しかし、おじさんの次の一言で、その気持 ちは吹き飛んだのだった。 「まあ、私の車じゃないんだけどね」 なんとおじさんは、その家の人ではなかったのだった。私と同じ、 ただの通行人だったのである。親切なそのおじさんは、今にも飛ばされ そうになっていた車のカバーを見かねて一人で頑張っていた。そこに暇 そうな私が歩いてきたので声を掛けた、ということらしかった。私たち 二人、はたから見ればただの不法侵入者である。 さっきまで「同士」だと思っていたおじさんが「共犯者」のように思 えてきて、念入りにひもを確認しているおじさんを一人残し、私は強風 の中、足早に去っていったのだった。