第 3418 号2014.07.27
「 心の『しみ』 」
小川 しょう子(練馬区)
十才の彼は昭和十八年、四年生の夏休みに入るのを待って、父の在所の信州に、弟妹五人と母の七人で縁故疎開をした。中学生の兄と女学生の姉は父と東京に残った。
五年生になってからは、級長になり家でも学校でも楽しく過ごしたが、昼飯の時だけは少し肩身が狭かった。弁当箱の中はいつも、里いもが二個とさつま芋の蔓の入った青いごはん、カバンの中で揺れたのか、はじが三センチ程すいている。隣のヤツは弁当の時間になると元気で、蓋を開けると真っ白い飯に玉子焼きまで入っている。
「オレだって東京にいた時の弁当には、いつも玉子焼きとたらこも入っていたんだ」
毎日みているうちに、一度でいいからその玉子焼きと白い飯が「食いたい」と思った。
そして空腹には勝てなかった。
やるのは三時間目に体操のある水曜日に決めた。体操の後みんなそのまま外で遊ぶ、この時しかない。
次の水曜日、朝早く目が覚めた。天気はいい体操はできる。いつもより水は冷たいがゆっくり丁寧に顔を洗った。朝飯も「いってきます」も母と目を合わさずに家を出た。
決行の時、心臓がバクバクと音をたてた。
「やめろ!」「でも……やる」目をぎゅうーとつむりヤツの弁当に手をかけた。蓋を開けるとなつかしい玉子焼きと飯の匂いがした。
口いっぱいに玉子焼きを放り込んだ。
放課後、母と一緒に校長室に呼ばれた。校門を出ても母は何も言わなかったが、橋を渡る時「早く東京に帰ろうね」と一言云った。夕日のためか母の目は赤かった。
八十才を過ぎた夫が、話終わってフッとため息をついた。今でも心に残っている『しみ』なのかと、私は思っている。