第 3306 号2012.06.03
「 幹子さんの香り 」
野原 圭(ペンネーム)
いつの間にか雨音が消え、凪いだ霧の中、薄い西日に夏葉がくっきりと浮かび上がっている。梅雨の夕暮れ、夢幻のせつなさに息が詰まり、窓を開け放つと凛とした清楚な香りが流れ込んできた。「幹子さんだ」と思った。
私が山の麓に移り住んだ翌年、幹子さんが尋ねてきてくれた。梅雨時の長い暮れ日を惜しみ、二人で散歩に出た。
幼少期に病を得て片足が不自由な幹子さんの歩みはとてもゆっくりだ。彼女の周囲には、その歩みのような時が穏やかにゆったりと流れている。
心に澱を積もらせている人は、皆彼女に話をしたくなる。彼女は「話を聞くだけで何にもできないけど」と黙って耳を傾け、澱を漉していってくれる。
そんな彼女に合わせ、雑木林の中、一歩一歩足を運んでいると、石けんを想わせる清楚で透明感あふれる香りが漂ってきた。
「良い匂いだねえ」
「本当、何の香りかねえ」
「家に持って帰りたいねえ」
二人で目を閉じ、しっとりとした靄が抱く清廉な香りを味わった。
私はまだ花木に疎く、それがスノーベルという花の香りであることをつきとめるのに数年かかった。スノーベルは梅雨の初め、低木の枝に小指の先ほどの真っ白い花が鈴なりに咲き、この花が沢山咲く年は雨が多いといわれている。
いつかその話をと思いながら、彼女の転職・入院と、さらに数年機会を逸しているうちに、幹子さんはあの世へ旅立ってしまった。
気がつくと家の庭にスノーベルが何本も繁っていた。幹子さんとの歩みが贈ってくれたスノーベルの香りを懐かしんでいると彼女の声が聞こえてくる。
「いい匂いはねえ、ゆっくり歩かないとわからないねえ」