「 ああ、老年になる事! 」
遠 藤 敦 美(横浜市)
この間まで忙しい毎日で、他人事のように思っていた定年がついにやってきた。
定年とは「明日から出勤に及ばず!」という最後の断固とした会社命令である。
もともと気楽な性格で現役時代は定年になったら好きなだけ寝て、好きなだけゴルフもするぞ、年に一度はささやかな旅行もとバラ色の熟年暮らしを夢見ていた。
もともと会社人間で40年間休む事も無く仕事に精出して、何とか決勝点に辿り着いて残りの人生は健康に気をつければ平穏に過ごせるはづであった。
ところが確かに平穏ではあるが、その平穏の調子が考えていたのと少し違うのである。
どっぷりリタイア生活に身をおいてみると考えていたように気楽でバラ色の人生とは言えないのである。
まず朝から晩まで家内の視線に監督されて(されているような気がする)、好きなように生活させていただけないのである。内心は少しは一人にさせてくれという気持である。
女房の視線は「何処かへ遊びにいってらっしゃい!」と親切な言葉が発せられるが意味深の眼光である。
次に問題なのは歳をとると充分に眠れなくなる。これはどうも歳をとったことの典型的な証のようである。十時に寝床に入ったのに朝暗いうちに目が覚めて枕元の時計を見るとまだ四時台である。ついこの間まで現役で会社へ勤めていた頃は、早い時間に起き出しても新聞を読んだり、ゆっくり食事をしたり、テレビを見て出勤の準備をして適当に時間が経過したものである。
ところが今はそうもいかないのである。全てが余った時間なのである。
長い期間に朝の生活が定着してしまって、そのなじんだ習慣は突然のスケジュール急変に付き合ってくれないのである。
家内は家内で「ゆっくりしなさいよ!」と口では言ってくれるが、ひがみ心が先に立って家内殿は心の中では例の粗大ゴミとしか考えていないのではないかと疑ってしまったりする。長い夫婦生活をやって来て、酸いも甘いも知りつくしてきたはづなのに今となると家内の心の中までは正直解からない気がして来る。
若い時代にもっとやさしくしてやればよかったと後悔するが今更後の祭りか?
これから体も心も急速に老人の仲間入りをする事になる当方としては今後の人生を真剣に考えなければならないと考えながら生活している毎日である。