第 2882 号2004.04.18
「 弟よ 」
さくら子(ペンネーム)
四月。桜前線到来の声と共に、それぞれに「花見」の思いがあるものである。
それは、去年の今頃、高山村坪井の村一番の老大樹のしだれ桜との出逢いである。
二年三ヶ月に及ぶ病との闘い、力つきた弟との旅である。
雑木林と田んぼが織り成す里山にそれはあった。この彼岸桜は、樹齢五百年に及び、根元には江戸時代とおぼしき数基の墓地を守り、ひっそりと気高く、枝を垂れているではないか。標高差のある里山の遅い春も、周囲の新緑に映えて、ひときは光彩を放ち、まさしく精霊の宿る桜としては、なかなかの迫力を感じさせるものであった。
人影もなく、静かに暮れてゆくさまは、美しいを越えた、異様なまでのすさまじさで、迫ってくるものがある。
お互い、おのづと言葉数も少なくなる、余命少ない弟には、どのように映ったのか?知るよしもなく、切なくなる思いである。
それぞれの心にやきついた花見であった。
今年も桜の季節がやってきた。
私は「花見」をさけている。と云うよりは、心の中に占められた坪井のしだれ桜が、私をとらえて離さないのである……。
来る春毎に、観る者をとらえて、はなさない何かを宿している気がしてならない。